どこへ向かう、どこへ行く。
行き先不如意では、どこにもたどり着かず。
今では、通信や交通の発達によって、
地球上の多くの場所にアクセスすることができます。
世界が身近になったというのもありますが、
自分がどこにいて何をするのかという自由の幅も、
格段に広がっているというのは否めないところです。
それはきっと、選択の幅も広がっているということで、
何をどうしようが、おそらくは自分任せということになります。
たとえば、東京に生まれたからといって、
生涯をずっと東京にいなければいけないわけではないし、
日本でもその他の国や地域でも同様のことが言えます。
出自は自分で選べない、選びにくいものだとしても、
成長を経るにつれて、勉強や仕事を選ぶには、
何をということだけでなく、どこでというのも、
今後は一層、大きな割合を占めることになるでしょう。
自分が行きたいところに行くのが前提として、
それに加え、必要とされたり、活躍できたりする、
また個別の要因というのも加味していくと、
視野や選択の幅が広がるように思います。
そのように考えると、世界を股にかけて動き回れば、
個人が集まり、経済や社会も良く回っていくかもしれません。
意欲に溢れ、好奇心も旺盛という人がいれば、
まさに水を得た魚のように、ぐいぐい進んでいくでしょうが、
逆に、どれくらいの割合かはわからないものの、
どこへどう進めば良いのか、迷ってしまっている人、
こちらの方の人の方が、実は多いのかもしれません。
今の世の中、情報はおびただしいほどにあって、
どれもがそれなりに正しく見えてしまえば、
自分にとっては、果たして何が最適なのか、
それを照らし合わせることを試みるでしょう。
しかし、ある人にとっては妥当であっても、
自分にとってはどうなのかはわからず、
自分の身をもって、飛び込まないことには、
その成否みたいなものはわからないものです。
この、「自分の身をもって」ということは、
お金や時間、生活のほとんどすべてをつぎ込んで、
さてどうなるというかという領域なので、
ある意味、情報ばかりに触れてばかりでは、
実際に踏み込むということに戸惑い、
まんじりと二の足を踏んだままでいたり、
元の場所へ引き返したりすることでしょう。
勇気なのか覚悟なのか、その呼び名は種々あれど、
もしもこの先、自分自身がどうなりたいかが、
胸の中にふつふつとあるのなら、そこに向かうべきだし、
それがほんのりしかないのだとしても、
今までと異なる領域に進むことで、
新しい何かが、必ずや見出せるはずです。
あなたの行き先はどこですか☆