行き着く先の道筋を

 

日頃、いろいろなことを気にかけていて、

自分はどのように受け止めるかとか、

どのように感じるのかを、胸中で浮き彫りにして、

誰かに伝える、文字に置き換えることがあります。

 

どんな物事にせよ、概要をとらえる時に、

そこには一定の正確さが求められますが、

どうやら話の着地というか終わり方は、

決してひとつではないなと感じています。

 

ある程度、言いたいことが収まって、

それが同時に、相手に伝わってもいる場合、

最終的に、どうであるかの差異は問わないというか、

そこまで微差にこだわらないというのがあります。

 

コトと次第によれば、寸分のズレもないことが、

非常に高い精度で求められることもあるでしょうが、

おおむね合っていれば問題ないことも多いわけで、

そのあたりは柔軟に融通するという具合でしょうか。

 

普段、こうして書きつけているうちに、

これはぜひとも伝えておきたいということもありますが、

実際には、書きつけているうちに新たな発想を得ることもあって、

当初の目論見とは異なることも結構多いような気がします。

 

場合によっては、思っていることに輪郭を与えたいから、

かなり見切り発車的にはじめることもあって、

そういう時には、どこに着地するのかだなんて、

最初から決めていないこともあります。

 

それでも、思いつくことの端々を並べていけば、

自分は意外とこのように思っていたんだなとか、

こう思うけれど、少しは調整が必要だなとか、

そういうことを感じながらやっているので、

自分自身、得るものが大きいなと思っています。

 

そうして、同じことを考えるにしても、

自分のモノの見方というのはそれなりにありながら、

多面的、多様に考えることもまた大切だと思うので、

そういう視点や観点を組み合わせていくのが、

豊かな発想につながるので、心がけていきたいところです。

 

景色にしても、地上で見ているだけの見え方と、

空中に高く上がっての見え方とでは大きく変わりますし、

それによっての、自分の変化への感じ方もあるでしょうから、

良い意味で固執しないことが良いとも言えそうです。

 

論理は単線的と思いきやそうではない、

自分の中でもそうですし、誰かとの意見ともそう、

それが良いとか間違いでなくて、正すものでもなくて、

そういうことなのだと感じ取ってもらえたら本望です☆