統合的に、ひとりとしての人格ではあっても、
自宅でくつろいでいる時、仕事をしている時、
スポーツをしている時、勉強をしている時など、
立ち居振る舞いは、自然と変わってくるものです。
場面や状況に応じて、見える表情は異なるわけですから、
そのいくつかを見比べて、「多重人格」だなんてことは、
よほどの不注意でない限り、口にすることはないと思います。
自分の中では、さほど意識はしていなくても、
その時に誰といて、何をしているかによって、
スムースに切り替えができているはずです。
そうして、極めて自然に振る舞えているのにも関わらず、
その切り替えの落差を埋めるとでも言いますか、
横を貫くようにして、自分らしくあろうとすると、
何らか無理が生じてくるように思いました。
たとえば、どんなことをするにしても、
根底のところには"生きること"が紐付いてくるもので、
それに全てを準じるようにしてしまうと、
会話の硬軟、内容の選定にも影響が出てくるし、
「あ、ここでは言えない」と面食らってしまうわけですね。
決してそんなことをするわけではないのですが、
わかりやすく例を挙げてみると、
仕事の会議を真面目にやっているのにも関わらず、
今日の夕飯の話題を持ち出すようなもので、
自分の興味・関心と言える場面・状況に齟齬があるわけです。
そうして、自分なりに切り替えをもたらすと言いますか、
どのように制御すると、心的負担が軽減するものかと考えて、
"ダブル・スタンダード"というコンセプトが良いなと思いました。
確かに、自分の大切にしている価値観や考え方はあるとしても、
その時の場面や状況にそぐわないのであれば言わないだけのこと、
それを言いたいのであれば、別の場面や状況を持てば良いだけなんですね。
スポーツで、野球をやっているのなら、
そのルールに従ってプレイするだけのこと、
サッカーのことは考える必要がないことに似ています。
このようにとらえる時に、その時々の文脈を知れば、
それに上手に乗っていけば良いので、
この考えによって、随分と切り替えができるようになりました。
そうすると、単純に今、目の前で見えていることは、
その人のほんの一部だなという気がして、
いっそのこと、奥の深さや広さはどこまでも持っていると、
人間的な魅力にもつながっていくように思います。
似た考え方のひとつに"プランB"がありますが、
これはまた別の機会にでも、開陳していきたいものです☆