読書体験について

 

自分の親からとか学校の先生からとか、身近な大人から「本を読んだ方が良い」と言われたことは、多くの人にとって心当たりのあることかもしれません。

特定の何かの本ということでなく、巷間にあるものであればどれでも良いということもあるでしょうが、興味を持ったものをそのままに読むのでも構わないわけです。

あるいは、体系的な読み方がお手本のようにあるわけでもないので、何をどのように読もうが、その人の固有のものであって、単にそれだけのことなのかもしれません。

それでも、手に取った本によって(後々にまで)受ける影響が異なるように、何を選ぶのかというのは結構重要なことのように思います。

自分のことを振り返ってみると、小学校の時分から那須正幹さんの「ズッコケ三人組」シリーズを熱心に読んでいたり、その時々で何かしらを読んでいたりしたものですが、もう少し年齢を重ねてもっと"自覚的に"読むようになったのは、20歳を過ぎたあたりからになります。

具体的には、熱心に読書に取り組もうと思い立って図書館の棚をじっくり見るうちに気になった清水義範さんの著書をひとつ手に取り、その後大半を読み込んだことが下敷き(ベース)になっていると思う今日この頃です。

著書が100冊以上あり、「パスティーシュ」と言われる手法が多くの作品に見られますが、これは誰かの文体や特徴をとらえて、それで別のものを描き出そうとするものになります。

印象的なものでは、原稿が一向に進まない作家が夜通し言い訳を書いているうちに、規定の分量に達してしまった話(たしか「深夜の弁明」という作品)とか、"バールのようなもの"を考察している人が"バール"を持って外出し職質に合うか捕まったという話(「バールのようなもの」)など、さまざまなアイディア自体が作品となっているわけです。

もちろん、素直に話が進んでいく(いわゆる通常の)小説もあって、「みんな家族」とか「人生うろうろ」などは心温まるものもありますし、自伝的な内容のものもあります。

作品一覧を見ても察することができるように内容も多岐に渡っているので、基本的な物事を考える上でも規範になっているところは多いですし、自分の書く文章にしても「清水義範の作文教室」(早川書房/1995年)が規範となっています。

自分がブログで書き出すのはもう少し年数が経ってからになるのですが、それはまた別の機会に取り上げるかもしれません☆