誰かとともに

 

うっかりすると(あるいは、うっかりせずとも)自分ひとりで行動して、それで完結していることが多いかもしれません。

その方が「思い立ったが吉日」ということもあるし、自分の準備次第で身軽にサッと動けると思っているフシはあります。

これも人によって異なるのでしょうが、誰かを誘う方を選ぶとか、誰かと一緒に何かをするのが楽しいというのはあるはずです。

誰かとともに何かをする、それはゴハンを食べるでも良いし、近所を散歩するでも良い、声をかけてどうなるかはわからないけれど、声をかけてみないことには返事や反応もわからないというのはあるでしょう。

今一度、そういう誰かと何かをすることにこだわってみても良いかもしれない、そのようにも思うものです。

何となく今まであったものが離れているような気もする今日この頃ですが、それはまた、新たにはじまるとか、新たにできていく前のタイミングなのかなとも思うわけです。

だからといって、じっくり考えだすと、誰と何をするのか、それと同様に、その誰かを誰にするのか、当然そのあたり歩いている誰でも良いというわけでもない、誘うことの難しさを思ってしまいます。

喜びがより増えるようであれば、それこそ喜ばしい限り。

気持ちも軽やか(ライト)にするように、声をかける、何かに誘うのも軽やか(ライト)に行えば良いかもしれません。

返事や反応は"はい"か"いいえ"か、今回は都合合わずとも次回は良いかもしれない、今回は気乗りしないけれど次回はそうではない、いろいろあってしかるべしです。

シンプルに、声をかける、それでどうなるの流れで良いということになるでしょう。

誰かを巻き込むとか、今後どうであるとかはよくわからないもの、声をかける、誰かを誘うことも繰り返す、それで良いのかもしれません。

今、何をどうしたいのか、そういう瞬間ごとの判断を大切にすると同時に、判断の早さというのも意識していくと良さそうです。

こういうことを続けていくうちにどうなっていくものか、少なからず度胸はついていくでしょうし、上手に誘うことを覚えていくかもしれません。

自分の知識や体験の外側に、きっと驚きや望外の喜びというものがあるでしょうから、臆することは何もなく、その良さに多く気づけるようでいたいなと思います☆