足元を見るにしても

 

足元を見るのだけれど、少し前をも見ておく、物事を上手に進めるには、ふたつのことを同時に成り立たせることが大切だな思います。

今の目の前のことに取り組むとともに、次にどうしよう、今日~明日にかけてはどうしようかと算段することも同じようなことです。

ひとつひとつはしっかりやるのだけれど、それがどのように今後につながっていくのか、点と線を適切に描いていくことが必要です。

点ばかりでは何も像を結ばないし、線ばかりでは端があまって見づらいことにもなるでしょう。

こういうことをあらかじめ頭の片隅にでも置いておけるのか、そうでないと、どうしてもひとつずつで区切ってしまうような気がします。

遠くを見すぎてもはっきりと見えるものではないし、近すぎてもかえってよく見えないこともあって、このあたりのさじ加減が難しいものです。

これは、目標の立て方や目的を持つことにも相通ずるような気がして、長い時間において取り組んだり向かっていくようなことを思い描きつつ、それで、今のやるべきことにつながっていくものです。

ひたすら走る・泳ぐなりするとしても、どこへ向かうのだとか、どれくらいの道のりなのだとかを知らないと、闇雲に体力を消耗するだけになってしまいます。

そして、こういう感覚や発想を持っていると、意外と多くのことに当てはまるようにも思うものです。

カラダのことでは、足元を見ることは俯くことにもなるので、周囲を見渡すことはできません。

逆に、周囲のことばかり気になっていては、足元の石ころにつまづいてしまうこともありそうです。

では、どちらが重要かというと、同じように重要なのであって、比較もできないし、どちらがどうというのは決して言えないものです。

このように考えていくと、ふたつのことを相反するように考えるのではなく、物事を成り立たせる要素がいくつかあると思う方がわかりやすいとも言えそうです。

目がカラダの前面にあるように、歩く行為が前に進むのが基本であるように、それが上手に行えるためには、足元のことも知っているし、前の方も見ているということがあるだけのことなのかもしれません。

最近思うのは、足元不如意になってしまってはすくわれることになるので、そこだけは免れていきたいと思う次第です☆