速やかにわかるべくもなく

 

俗にいうインターネットの著しい発達によって、

何事も知ろうと思えば知ることのできる時代ではありますが、

知っていることの深さというのはかなり段階があるような気がします。

 

分野や領域の物事そのものの深さがあるだけに、

簡単に知ったような気になってしまいがちですが、

本当に知っているのとは、結構隔たりがあるかもしれません。

 

たとえば、言葉にしても、言葉の意味を知っているのと、

会話や文章の中で的確に使いこなせているのかでは、

だいぶ理解の度合いが異なるというのが、

どことなく感じ取ってもらえるのではないでしょうか。

 

それ自体を知ることも、周辺のことも知るのも大切ですし、

実際の場面のそれぞれで使いこなせることも必要で、

何事も、容易にひとっ飛びとはならないものですね。

 

野球やサッカーにおいても、よく言われることがありますが、

名プレーヤーが、名監督とはならない/なりにくいのは、

競技自体、相当に熟知はしているけれど、

体を動かすのと口で伝えるのとでは異なると言いますか、

伝えるにはまた異なる技術が必要ということなのでしょう。

 

その前のプレーヤーが一流となるにも道のりは険しく、

ボールを打つ/蹴るにしても、それだけの奥深さがあって、

追求すればするほど、また次の課題が出てくることでしょう。

 

また、普段においてもそれはあてはまるかもしれず、

いろいろと見知ったことを、誰かに伝えようとすると、

自分自身にとって、それが非常に良い学びになるとも言われますが、

あまりそればかりをしない方が良いなと思うことがありました。

 

ある程度は、自分の中で醸成する時間を持つというか、

それを体感や実感として、しっかりと身につけるのを先決として、

あえて溜めておいて、熟すのを待つのが良いこともあります。

 

または、異なる分野や領域のことを知っていくうちに、

その共通点であったり、極意のようなことがわかったりして、

「あー!」と目を見開くようなことが、時にあるものです。

 

知りたがる気持ちは興味・関心の表れなので、

どのようなことでも飛び込むような姿勢は大切ですし、

謙虚な気持ちも持つことでまた知ることも多いでしょう。

 

広大無辺な知識体系はどこまでも完成することはないでしょうが、

それだけに、踏み込めるところの多さを示しています。

 

そう考えると、知ることの多くは興味深く、

機会を見ては、お伝えすることができたら良いものですね☆