男女の恋慕というのは、そのまま人の歴史でもあって、
惚れた腫れたのあれこれが、次の世代に続くわけです。
少なからず、自分自身がそうだったのですが、
多くの人にとって、物心つくあたりでは、
お父さんとお母さんがセットであるのが当然のことと、
疑ってかかるようなことはありませんでした。
ただ、自分自身が大きくなってくると、
前提として自分は男性で、それは性別の片方であるわけで、
そう考えると、自分にとっての最適なパートナー=片割れとは、
一体どのような女性であるか、深く思案すると同時に、
もともとは他者であるだけに、互いに親となるような結びつきは、
非常に奇跡的というか、稀なことなんだなと思いました。
他人のカップル(英語)、アベック(フランス語)を見ると、
客観的にああだこうだと好きなように言えるものですが、
これが、当事者として自分のことになると、
途端に思考が停滞するような気持ちになります。
結構、恋愛をロマンティックととらえる向きもありますが、
自分にとっては、リアルガチそのものなので、
そこに幻想を抱くようなことはまるでなく、
ある意味で、自分の気持ちのみならず言動のいちいちが、
現実に反映してくる責任や自覚を促されるものです。
そう思うと、非常に本能的な衝動でありながら、
どこかで理性的というか、実際的な判断が求められるので、
及び腰になりつつ、ともすれば消極的になることが多いかもしれません。
時に、誰かの存在を求めても満たされなければ、
まさしく半人前と、至らぬ気持ちが大きくなるもので、
ひとりを好む一方で、良い出会いがあることを望むものです。
数多くの浮名を流すような恋愛マスターになりたいというより、
たったひとりであっても、最高の理解者を得る方が、
自分の心の満たされ具合としては大きいかなと思います。
どんな絶世の美女、高嶺の華であろうとも、
お父さんとお母さんの存在があってその人がいるのだから、
極端にお父さんとの関係を拒絶しているのでない限り、
これをひとつの模範とするのは良いのかもしれません。
このあたりに勇気を得て、行動に移してみる、
杉良太郎さんばりの流し目をしてみたり、
髪色や化粧の変化に気づいたりするのが良さそうです。
「月がキレイですね」とまでいかなくても、
まずは「今日は良い天気ですね」からはじまる関係、
喉がカラカラにならないようにしたいものです☆