道理の順序を考える

 

趣味や嗜好の話において誰かと会話をする時に、もちろん盛り上がらないよりかは大いに盛り上がった方が良いですし、そういう会話や交流を通じて、"同好の士"が増えるのも喜びと言えるでしょう。

日頃、自分ひとりで楽しんでいるようなところで、話題のみならず感覚も共有できると、それはまた普段の活力となる気がします。

自分自身は、基本的にはひとりであっても十分に楽しむことができていれば、それで良いと思ってしまいがちではありますが、この衝動の生じること自体は何ら否定するものではありません。

ただ、こういう有意義な関わりを考える時に、しかるべき手順というか、物事の順序があるようにも思うものです。

たとえば、音楽が好きという共通項があらかじめわかっている状態で、いざ会ってみて話をしてみた時に、こちらはヘビーメタルを、熱心に聴く側としての話、相手はR&Bの、歌う側としての話しか得意でないことがあるかもしれません。

そこで、知らないことを教え合うとか、広く、音楽とは良いものよねとなればまだ良いですが、自分の好きなことや話したいことが必ずしも十全に話せるわけではないことに、少なからず落胆してしまう気がします。

そういう出会い方も、時と場合によっては効を奏するかもしれませんが、個人的には、思いもよらない場所で出会って意気投合することに憧れてしまうものです。

この例の場合では、同じ職場でとか、酒場で隣り合った人と、たまたま音楽の話をした時に、好きなジャンルやバンドなど、やたら重なっていると「あら、おたくも?」となって会話が大いに弾むことでしょう。

これが、他の分野や興味であっても同様で、やたら話が合うなとか、やたら気が合うなと思ったら、同じ人に学んでいるとか、趣味が似ているとかになるのが良いなと思います。

これが、先に、同じものが好きだ、同じとところに通っているいうことで集まると、必ずしもそうはならない(気がする)というのは、前述の通りです。

では、そういう人たちには、どのようにすれば出会えるのか?出会うためには何をすれば良いのか?ということでは、これはまだ、飽くなき追求の途中ではありますが、自分自身がいろいろなことに興味や関心を寄せながら、それでもって方々に顔を出すということに尽きるように思います。

そうやって、その場にふさわしい話題とは別の、異なる場所ごとに異なる話題をするというのが、相手にとっても貴重であるような、良い出会いを呼び寄せるコツのひとつのように思います☆