適しているように

 

普段の生活において過ごすことであったり、人生の局面で迎えることであったり、人が生きるということの大枠は同じでも、どのような選択を採るかは人それぞれです。

たとえば、健康のためには運動をした方が良い、運動をするのは楽しいとしても、どのような競技や種目を選ぶのかが変わってくるようなことです。

人によってはサッカー、また別の人にとってはランニングとなるでしょうし、それに加えて、どれくらい本格的にやるかとか、どれくらいの頻度で行うのかでも多岐に渡ることでしょう。

ここで言いたいのは、どれを選ぶのが良いかということにおいて、大勢にあてはまるのみならず、その人ごとに合っているかどうか、この吟味が大切だということです。

登山やハイキングをしながら自然と触れ合うのが好きな人に、屋内での筋力トレーニングばかりを課すことが果たして正解なのか、バスケットボールが好きな人に卓球を勧めるのが良いのかなど、多く挙げることができます。

また、時々は汗を流してスッキリするのを望んでいる人に対して、全国大会やオリンピックを目指すほどのハードさを強いても、それはどうなのかということです。

もちろん、いろいろ試してみることや可能性を広げることは大切としても、あくまで、その人にとってどうであるかを念頭に置いておきたいものです。

こういうことは、仕事の場面でもそうですし、生活のあらゆる面で随時出てくる事柄であるように思います。

コツコツと帳簿をつけて過誤なくやるのが得意とか、積極的にやってみたい人にヘリコプターの操縦を任せるのでは、それは適性として上手にできるかもしれないけれど、当の本人がどう思うのかは別の問題です。

よりその人の得意とか、やりたいことにあてはまるのが、大きな貢献になるような気がするので、無理が生じないようにするのが賢明と言えるでしょう。

自分で得意なことや適性を知って選び取っていくのが良いと思いますが、それを周囲の人の後押しでできるのも良いように思います。

ここでひとつ例を挙げておくと、「本を読むと良いですよ」という考えを取り上げるとしても、読むべき本、読んでおくと良い本もあるにしても、その人にとって何を読むのが今のベストなのかは少し事情が変わってきます。

こういうことも、自分で気づくのみならず、周囲がそっとオススメできるようにしておきたいと思います☆