雑多に詰め込んで

 

あまり実感はない(年々薄れていく)ものの、日付の進んでいくうちに、今年も終わりが近づいてきました。

今日と明日とで、何かが大きく変わることはないけれど、それでも気持ちなり身だしなみなり整えておくと良いなという思いはあるものです。

何かが変わればそれもまた良いでしょうし、それがより楽しい方とか充実する方であれば喜ばしいものです。

それと前後して、来年の展望とか、今後の見通しとか考えて、それに向けて考えや行動を起こしていくことは必要だと思うけれども、今、目の前にあって、今できることを思いついた順にやるのが良いようにも思います。

いつの時も、特に何かを目指すわけでもなく、日々淡々とやるべきことをやれば良いだけですが、一方で、何も掲げていないというのもどこか心もとない気にもなるものです。

ただ言い換えれば、何もないということは何でも選び取ることができる、まっさらなキャンバスに何でも描ける自由があるということでもあるのでしょう。

今は特段これ!というようなアイディアも指針もなく、それだけに目に入り、耳に聞こえるものが、次なる何かの手がかりになるかもしれません。

シンプルには音楽や映画を楽しみながら、できる限りにひたすらに叩き込む、それによって、自分にない発想であったり、目新しいものであったり、とにかく有象無象飲み込んでいこうというのが良いように思います。

好みとか、今までの傾向も踏襲しながらも、あまりそれにとらわれないでいるのも大切なところです。

振り返ったところでそれは事実の確認程度のことで、何を成功、何を失敗とも思わずにいるのが、かえって前向きというものです。

まるでスポンジが水を吸うようにして、いずれにじみ出るようになれば、それがひとつの契機となるでしょうから、それまで手を緩めないというような姿勢が大切です。

とにもかくにもがむしゃらに、思いつくことのそれぞれをやっていくうちに、何かおぼろげでもそれなりのカタチとなっていくように思います。

何をしたら良いかわからない、そういう時は何をしても構わないものですし、できることをするだけ、そういう奔放さが許されるタイミングと言うこともできます。

今のタイミングだからできること、そのひとつずつをすくい取っていきたいものです。

来年はどうなるものか、まずは今年を走り切れたことを称えていきましょう☆