類型をどう思うか

 

普段、自分なりの生活をしていると、同じようなパターンで寝起きし、そしてまた行動を繰り返しているものです。

もちろん、毎日が同じではなくて、そこかしこに小さな変化はあるものですが、おおむねは同じというのはあるでしょう。

それ自体何か問題があるわけでもないのですが、そういうパターンのうちに自分がいるということは、それとなく知っておくのが良いと言えそうです。

無論、そのパターンだから(寝坊や遅刻なしに)できていることもあるし、「継続は力なり」ということで、次第に深まりや広がりを持つこともあると思います。

その一方では、それゆえにできていないこと、やろうと思っていても機が熟さないようなこともあって、何かを得ていれば何かを手放しているということになります。

平日休みか土日休みか、またはお盆や正月に休めるのかどうか、または、働いている時間というのも、人によって異なるものです。

もしも何かを変えたい、生活のパターン自体を大きく変えるということもあるでしょうし、目に見えずとも感覚や気分の場合もあるでしょう。

自分で工夫して、いつもはお昼ご飯にはゴハンの定食が多いけれど、今日はサンドイッチにしてみようということはできますし、思いもよらぬということでは、誰かから誘われたら出かけてみるとか、一緒に何かをしてみるというのが良いとなるわけです。

たとえば、今の自分ではビリヤードをやろう、乗馬をしてみようと思っていないし、思っていないからやろうともしていないし、どこでできるのかも良くわかっていません。

これを、もしもそういう機会があるのなら、好きかどうかは関係なくて、実際にやってみるというのが何らか刺激になるはずで好ましいものです。

それによって、また新しい感覚や気分を味わえるでしょうし、そこにいる人たちと知り合って、それがまた新しい何かを知るきっかけになるかもしれません。

これもひとつのパターンができあがっていくことになるでしょうが、単に「同じようなパターン」という場合にも、"変わり続けること"を続けていくのであれば、これはいつも変化をもたらしていることになって、決して滞ることはないものです。

少なくとも自分が楽しくなるように、そして、周りも楽しくなるような、ステキなパターンのうちにいたいものです☆