鶏頭となれ牛後と

 

「鶏頭となるも牛後となるなかれ」という言い回しがあるように、大きな組織の後ろをついていくより、小さな組織でも先頭に立った方が良いというものがあります。

確かに、大きなものに飲み込まれて、いるのかいないかの状態でいるより、自分が先頭に立って、責任を持ってやるのが良いというのが、この真意であるように思います。

「鶏頭」が、威勢が良くて、何だか引き締まった感じがするのが良い印象をもたらしているのが大きい気がします。

そして、これの解釈を少し変えてみると、鶏頭となりながら、牛後にもいるのが良いというのもあります。

そもそも、ここでいう「牛後」が、どちらかというと"カラダが大きいばかりで、あまりぱっとしない"ということの比喩になっているようですが、大きいには大きいなりの強みがあるように思います。

以前であれば、少数精鋭と言いますか、こじんまりとしながら取り組める「鶏頭」的なものを真っ先に好んでいましたが、最近では「牛後」の意義もわかってきたということです。

これがどういうことかと言えば、たとえば、近所の市営のトレーニング・ルームでせっせと鍛えているだけでなく、猛者たちの集まる「ゴールド・ジム」に行くことで、心身ともにより強い刺激を得られるというわけです。

ここでは、「牛」的なものであるより、クマとかゴリラ、ゾウ、場合によっては恐竜など、屈強なイメージが浮かんできます。

これの両方を取り込んで考えていくと、たとえ小さな規模であっても一位を取るようにしながら、より大きな規模でも勝負を挑むようなことで、決して"お山の大将"になることなく、必死に励むことになります。

これが、ここで言うところの「ゴールド・ジム」に最初に挑むようでは、自分の非力さにかえって怯んでしまうかもしれません。

このあたりは、富士山に登りながら、それよりも低い山でも経験を積むとか、42.195kmのフルマラソンの大会にエントリーしながら、10kmくらいの市民マラソンにも出るのが良いように思います。

そういうものを全部ひっくるめて考えていくと、いつも懸命に取り組みながら、同時に自分の至らなさを知る謙虚さも持ち合わせるようであれということなのでしょう。

いろいろ含めて考えていくにつれて、「鶏頭となって」かつ「牛後でもある」というのが適切な解釈だなと、最近は強く思います☆