<その1>からの続き…。
*
気がつけば、かなりの(もちろん感覚的な)紙幅を費やし、
<その1>で早くも12,000字以上になっているので、
ここはぜひとも適度に休憩を挟み、トイレに行ったり、
コーヒーを淹れたりしながら、読み進めてもらいものですし、
場合によっては、少しずつ時間で区切って、
読める時に読み進めるスタイルでも構いません。
そうして、読む態勢になったところで、
続きも、張り切って書き記していきますので、
しばらくの時間を、どうぞ楽しんでもらえたら本望です。
*
そうして、ここでひとつ公式のようなものがあって、
「好きーセックス=愛情」というものがあります。
たとえば、誰かのことを気になって、好きになったとして、
それが感情の純度100%の好きなのか、
距離を縮めて、その唇や肌、髪にに触れてみたいという、
性的なことも含む身体接触を望んでいるのか、
そういうものを加えたり、差し引いたりしてみてこそ、
愛情の度合いがわかるというものです。
確かに、このあたりは先ほどの恋愛と結婚の例のように、
感情と行為を分けて考えつつ、愛情を考えるのがわかりやすく、
もしも、好きな気持ちばかりがあるのでは、
どうにも現実的な距離は縮まりにくそうですし、
逆に、肌を重ね合わせたい性欲全開では、
何か、身も蓋もない欲情のみということになりそうです。
片思いは純粋であるなんて言い方もあるのは、
こういう肉体接触を介在しないことがあるからなのでしょう。
そうして、これの3つうちのどれも100点までですよとか、
愛情の総計1,000ポイントでバランスを考えてくださいという、
限りのあるようなものでない極めて相対的なものですし、
どこの割合を大きくするのかどうかは、
個人や相手の考え方に応じて変わってくるものだと思います。
それでも、好きな気持ちを推し量るには、
セックスの要素を分けてみるというのが良いと、
そういうことになるのではないでしょうか。
*
それに付随して思うのですが、
人間が、特に日本においては一夫一妻制で、
一応、特定の相手と性行為をするのが望ましいとされていて、
結婚という制度に、全部を詰め込もうとしているのですが、
文化的・社会的な生物として、成り立たせるためには、
先ほどの恋愛、結婚、セックスのそれぞれの要素を、
できるだけこの順番でこなすのが良いとされている気がします。
逆説的に言えば、行為としてのセックスでは、
その人の日頃のものの考え方や振る舞いが、
それこそ裸の状態でありありと現れてくるので、
スタイルやテクニックだけにと留まらないわけです。
そこでもしも物足りないなんてことになれば、
愛情としての部分や、人としての情感がない、
単に、動物的で即物的なことになってしまいます。
そういう意味では、一定の好意=好きな気持ちがあってこそ、
ある程度は、相手のことを少なからず大切に思えるのだし、
別の観点で、他の良いところを見つけることができたり、
その後に人間的な魅力を増したりすることもあるので、
基本は一期一会としても、ある程度の時間の長さを伴うように、
時間的な射程を長く見積もってみての、
お互いのやり取りが必要だなと思うわけです。
そういう長い時間の流れで物事を見る見地というのは、
そのまま、即物的なものだけで物事を判断しないことで、
人間だからできることなのかなとも思います。
*
ここで、少しライトな内容も取り上げようと思うのですが、
女性の胸の大きい/小さいところではないところで、
ひとつ申し上げておきたいことがあります。
そもそも、内容が内容だけなのもありますが、
果たして、女性が読んでいるのかという疑問も生じつつも、
もしも少しでも今より大きくしたいとか、
場合によってはカタチを良くしたいとかあると思いますが、
そこで、自分でマッサージをしている人もいるかも思います。
しかし、それでは逆に縮小してしまうらしく、
ここでは、意中の男性にマッサージしてもらうことで、
女性ホルモンが多く出て、より女性らしいスタイルや、
カラダのラインになるそうです。
おそらく、スペンス乳腺のことを知っていると、
ここのあたりに密接に関係してくるように思います。
ここでは、私が女性の胸が気になるということはさておいて、
極めてライトに受け止めてほしいなと思うところです。
また、男性諸氏に伝えておきたいことで言えば、
意中に女性に対して、「好き、かわいい、キレイ」と、
言葉にして好意を何度も伝えることで、
そういう人と一緒にいられることをかみしめて、
自分の幸せの実感が高まりながら、
より好意を持つようになるそうです。
そして、それを多く言われている女性は、
これまた女性ホルモンが多く分泌されることによって、
より多くの魅力を発揮することになるので、
あるところでは「一石十鳥」の効果とも言われています。
*
そうして、世の中の夫婦やカップルで、
本当に、お互いのことをわかり合っているような人たちは、
どれくらいいるのだろうかと、質問したくなってきます。
あるいは、かっこいい/かわいい人と知り合いたいと思い、
いつもそれを願っているのだとしても、
自分もそういう魅力的な外見や容姿なのかというのは、
相手を知るようにして、自分を知る機会にもなるものです。
こういう、相手がどういう人であるのかは、
友人関係においてもそうで、自分の合わせ鏡のように、
自分の内面を反映するところが興味深く思うところです。
そうして、どちらが先ということでもなく意気投合し、
一緒にいる時間が多くなるにつれて、
どこかで行為としてのセックスも介在してくると思います。
そうでなくても、デートに出かけるとか、
会話を楽しむようなことが多くなるでしょうが、
相手に多くを求める人もまた、多い気がします。
自分を幸せにしてほしい、楽しませてほしいというように、
受け身の態勢で、それでコトの正否ばかりをいうようでは、
何となく対等な関係でないように思えてしまいます。
"官能"についてブログで取り上げているのですが、
自分の官能は、相手の官能によって賦活されるように、
そして、相手の官能はまた、自分の官能に賦活されていると、
あなたと私の、どちらが先でも後でもないようにして、
いろいろな喜びを得ていくのだろうということです。
簡単に言えば、私が笑うのはあなたが笑っているからであり、
あなたが笑っているのは私が笑っているからで、
そうして、高め合っているというのは見て取ることができます。
行為としてセックスをする場面だけでなくても、
会話やいろいろなやり取りをする時に、
ただ相手の出方を待つような態度・姿勢であったり、
あまり反応がないような"マグロ"では良くなくて、
お互いの参加意識とでもいうような積極的な態度があってこそ、
あなたも私も楽しい時間を過ごすことができる、
そのように思えてならないのです。
そうして、二人が交互に組み合うようにしている様子は、
DNAが二重の螺旋構造であるように、
顕微鏡の世界のミクロで成り立っていることが、
身近な普段のところでもあてはまるようにも思い、
これもまた、非常に興味を覚えるところです。
*
生物学者の福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」で、
DNAの二重の螺旋構造を研究しているのが、
二人のペアの生物学者だというのがあって、
こういう発想を男女ということに置き換えてみれば、
自分の個人としては主観ではあるけれど、
客観的に、どういう人と一緒にいるのが、
生命的な振る舞いとしては良いのだろうと思えば、
単純に、気持ちがドキドキするだけではないところで、
魅力を感じ取るキッカケにもなるのではないかと思います。
そして、自分の主観があるのと同様に、
相手の主観も当然あるわけですが、
自分の主観を相手の主観に置き換えてみる、
そうして、お互いがお互いの立場に立ってみれば、
自分で思う以上に、あなたと私のことがわかるかもしれません。
結構、こういう主観と客観とか、あなたと私のように、
どういうところに立脚するかによって、
物事の見え方は異なってくるのはありますので、
これまた、柔軟かつ多様に考えられるのが、
自分の理解や相手の理解が、促進されるような気がします。
*
あとは、だいぶ以前に目にしているもので、
そこで、"感情の結晶化"みたいなことがありました。
ここでは、お互いが一緒にいない時間であっても、
相手のことを大切に思う気持ちがあれば、
それは結晶のようにして、少しずつ大きくなるような話で、
"会えない時間が、愛育てるのさ"とあるのは、
非常に理にかなった歌詞なのだなと腑に落ちた経験があります。
*
男女の多く、まずは出会うところからはじまって、
会話や電話、お茶をする、映画を観るようにして、
次第に親密になっていくのが好ましいのですが、
そのためにも好意を持ってもらうことが必要になります。
そこで、ひとっ飛びに交際や結婚を申し込むわけにいかず、
少しずつ段階を経るのが良いと言えそうです。
好きとか愛されるとかでは、"好きの5段階説"があって、
1. 愛されている
2. 惚れられている
3. 好かれている
4. 興味がある
5. イヤではない
多少の言い方の違いはあっても、
上記のような段階で考えることができるというのです。
そして、5番目以降では、嫌われる方向に向いていくので、
最初の段階としては、嫌われていないところから、
イヤではないというように進んでいくのが良いわけです。
そうすれば、あとは好きになるかどうかの流れになるので、
その分岐点をどう乗り切るかなのですが、
ここでは3つ心がけることがあって、
挨拶ができる、清潔感がある、自慢話をしないとなり、
日頃接していて違和感を感じないのが前提にあるようです。
何事も焦らずじっくりと続けるのが良いものですし、
基本のところを忠実に守るのが、
かえって近道ということにもなりそうです。
*
そうして、ここでは異性ということなるのですが、
男女問わず誰とでも仲良くなれることは、
結局良い出会いを運んでくるような気もするので、
前述の坂本龍馬を取り上げながら、
このあたりを考えていきたいと思います。
坂本龍馬を取り巻くあたりでは、言いたいことは多くあって、
それでも伝わるようにはどうすれば良いのか考えるのですが、
まずは、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」に、
原子の"平方根"の発想があって、
それを読んだ内田樹さんが武道的に応用できると思い、
そして、さらにこれを読んだ武田鉄矢さんが、
坂本龍馬を説明するにも役立てるとあって、
最後に、私がこれらを通じて読んだところで、
それぞれの内容を理解するとともに、
たとえば、異性と行為としてのセックスをするのにもさえ、
取り込んで応用できるのではないかと思った次第です。
このあたりを詳細に繰り広げていくと、
引用に次ぐ引用、言及に次ぐ言及になったり、
それぞれが取り組んでいる課題の内容であったりと、
かなりコトの順番とその行き来がややこしくなりそうなので、
大きいところでの枠組みの構造を伝えることで、
少しでも簡素にまとめることはできないものかと思うわけです。
そういうものを踏まえつつ、相当に簡単に言ってみるならば、
原子や細胞の数が多いほど、行動の誤差が少なくなるし、
ある意味では、同調する割合も大きくなってくるというもので、
仲間や恋人など、一緒にいる時間が多いほど、
気が合うとか、息が合うとかのそういう話になります。
武道やスポーツの合宿や、寮での共同生活などもそうで、
同じ時間や空間を長いこと共にすることで、
次第にあなたと私の境界が薄れ、同じような感覚になって、
意思疎通も図りやすいということで、
これが、大人の場合でいうところの、
一緒にお酒やご飯を共にすることが多くなるのと、
根底の部分では繋がっている発想かと思います。
お互いの気の合うことを"息が合う"ということもあり、
吸っては吐いての呼吸にもそういう効果があって、
全員で呼吸を合わせるようにしてみるのも、
同じような効果を得ることができるわけです。
そうして、武道における"無敵"を考える時には、
全員を打ち負かすことで生き残るのは自分一人という、
まさに"敵がいない"ということではなくて、
そもそもが"敵となる人がいない"のが、
実際のところで、目指す境地になります。
そこでは、勝ち負けだけの勝負論ではなくて、
どれだけ自分の状態を高めるかということで、
相手の懐に飛び込むことであるとか、
他の人も多く巻き込むのかというところになってきます。
ここでいきなり舵を切るようにして戻ってみると、
"幸せなセックス"であるとか、
"心身ともに深いつながり"を持つ場合に、
あなたと私が溶け合うように同調しながらも、
官能をお互いに高めることができるのであれば、
彼我の境地に行くことすらも可能かなと思います。
相手に自分を明け渡すようなことでも、
ここに含まれるのかもしれません。
あとは、坂本龍馬で言えば、
残っている写真を見ても、非常に"なで肩"なんですが、
これは武道的な「居着き」がないことで、
無用な力みがなく、大いにリラックスしている状態で、
どういう状況に対しても、次の動作に移りやすい点で、
かなり理想の状態になっていることがわかります。
リラックスということでは、副交感神経が作用しており、
危機的状況になって、キュッと集中する時には、
もうひとつの交感神経が作用するので、
剣術も免許皆伝を収めている坂本龍馬としては、
いざという時の切り替えが巧みであろうと考えられるわけです。
逆に言えば、相手が居着いているような状態では、
こちらから見れば、生かすも殺すも自由であるような、
"活殺自在"の状態であるのですが、
もちろん、命を奪うようなことはしないで、
いかに生きることができるかを考えるのが、
今の状況では良いような気がします。
そして、こういう英雄は色を好む傾向もあって、
特に坂本竜馬では、妙齢の女性ということだけでなくて、
広く女性や子どもに親しまれていたことが記されています。
いろいろな顔を持っているのですが、
日本の株式会社の先駆けとも言われていますが、
こういう社長となるような人はセックスも上手だと、
何かの本だか記事だかで見かけたことがあります。
確かに、細かいところにも気配りができるし、
多くの人と会って、スマートが振る舞いができるとあって、
かなり的を射ている指摘ではないかなと思います。
*
そうして、坂本龍馬を例に挙げながら、
会社の経営とかリーダーシップを考えると、
多くの人の気持ちをひとつにして、
大きな目標に向かうことが望ましいわけです。
それが、薩長同盟という歴史的な偉業にもなるのですが、
幕府の側とも、脱藩をした土佐藩とも、
新撰組を含むような、ありとあらゆる人たちの中で、
お互いの立場も利害も異なりながらも、
その間を颯爽と駆け抜ける坂本龍馬は、
仲間からは慕われたり、新たに誰かと誰かをつないだりして、
大きな動きを見せているのは驚異的だなと思います。
これを、武道的"平方根"とか"居着き"とかと絡めると、
たとえば、会社のトップであるとか、
何かのグループの筆頭である場合に、
自分の思うように考えて、同じように動ける人が多い方が、
自分ひとりの何倍もの動きを見せることができます。
まるでそれは、脳みそが自分のものひとつでありながら、
多くの人が、自分のまさしく手足であるように動けば、
それだけでも巨大な運動体となることが考えられます。
指先にまで神経が行き渡っているかのように、
一緒に働く人たちとつながっているのかということです。
そのためには、ひとりひとりとの関わる度合いや深さはある、
しかも出会ってからどれだけ短い時間でできて、
どれだけ多くの人とできるのかということを成し遂げてこそ、
大きいことを成し遂げられるように思います。
このあたりが、いろいろな要素を含みながら成り立つもので、
簡潔にするにしても、伝えきれないような感覚はありますが、
自分の中では言葉にできていないだけでつかんでいるだけに、
あとは、それを実際の場面でできるのかというだけのことです。
*
武道とか、坂本龍馬を手がかりにして考えてると、
たとえば、西洋のスポーツでは、
勝ち負けだとか、優劣を図るような側面が大きく、
単純に言えば、腕力の強さがどれくらいであるのかが、
影響力や発言力みたいなのを決するように思います。
しかし、柔道、剣道、合気道など、
もちろん筋力や瞬発力みたいなのも必要ですが、
「道」が名前になっているように、
長く続けることや、続けることでわかる境地があるのが、
スポーツとは異なる大きな特徴かなと思います。
そこでは、人間的資質の涵養であったり、
いろいろな感覚的な能力の開花であったりするようなことを、
自分の身に起こすことが重視されているようにも思います。
誰かに勝つとか、打ち負かすということではなくて、
克つべきのは自分自身ということで、自分に負けない、
"克己"という言葉は、実に言い得て妙だなと思います。
*
会社経営のトップとか、各種リーダーとかの資質を思う時、
そこにも多くの要素や側面はあることでしょうが、
ありあまるようなエネルギーがあることが、
理屈を抜きにして、何よりも前提になるように思います。
それはまた、健康であるということにもつながりますが、
普段の生活において配慮するべきことは、
食事、運動、睡眠の3つをバランス良く成り立たせることに、
秘訣が詰まっているようになっているものです。
エネルギーの多寡はまた、魅力的であるかにも関わるので、
そういう人の元には、同じように魅力のある人が集まるのは、
こういうことからも言い表せられるように思います。
内面的な状態というのは、気持ちの浮き沈みや、
脳の働き、内臓の状態など多くを含むかと思いますが、
そういう内面で起こっていることは、
毛穴なのか、肌の表面からにじみ出るようなもので、
いくら外見を着飾って、取り繕ったところで、
どうしても看破されてしまうのではないでしょうか。
肌の滑らかな様子であったり、整っている様子を、
「肌理(きめ)細かい」というのは、
肌の表面にも、本質的な原理はあるというのが、
どこか関わってくるように思うものです。
*
心身にまつわる、この健康に関わる、
食事、運動、睡眠の3つの要素は、
そのまま三大欲求の充実にもなりそうで、
行為としてのセックスを行うにあたっても、
筋力トレーニングをして、日焼けをすれば、
かなり健康体になり、準備も万端ということになります。
男性では特にスクワットをすることで、
男性ホルモンが多く分泌されるということで、
女性にしても、足のラインをキレイに保つには、
特に太ももの内側の内転筋を意識すると良いとされています。
また、呼吸ということで考えても良いのですが、
特に男性では、"勃って、出す"プロセスが、
行為としてのセックスの過程にはあるわけで、
交感神経、副交感神経を行き来するのが自由であれば、
自分の肉体もそれに連動するようにして、
自由にコントロールすることができると考えられています。
わかりやすく言えば、行為としてのセックスの最中では、
勃起ラインと射精ラインの二つがあって、
興奮して勃起するのには交感神経が強く作用し、
逆に、射精ではリラックスする副交感神経が作用します。
こういう緊張と弛緩みたいなのは、
呼吸の仕方にもよるし、集中の仕方によっても、
かなりコントロールができるようです。
*
行為としてのセックスを考える時には、
肉体的なところでわかりやすいのは、
男性が"勃って、出す"ことになるのでしょうが、
女性の場合では、また異なる指標があるものです。
それでも、一回の行為がどのようにして成立するのかでは、
男性側に責任というか、主導権が渡されているようなもので、
単純に、挿入して射精すれば、ひとまずは良さそうです。
しかし、女性の側からしてみれば、
自分ではどうにもコントロールできないわけで、
男性次第になる部分が大きいあまり、
必ずしも自分の快感や満足が得られない場合もあります。
もしもこういうところに固執してしまうのであれば、
行為としてのセックスが、挿入や射精ありという、
挿入主義、射精主義でのセックスになってしまうそうです。
その場合では、行為としては成り立って入るけれど、
"幸せなセックス"をするとか、
"心身ともに深いつながり"を持つことからすると、
少し離れてしまう発想のように思います。
場合によっては、男性の気持ちや体調によって、
勃起が維持できないとか、射精にまで至らないとかあって、
それを女性が、自分の責任と思ってしまうようでは、
悲劇の上塗りになってしまうこともあるようです。
ここでまた、打開策というわけではないのですが、
ひとつ興味深いことを聞いたのですが、
必ずしも挿入する、射精することだけではなく、
もっと他の過程や行程を楽しむようにしてみれば、
逆説的ですが、行為としてのセックスが成り立つのでは、
そのように考えるのも良いのではないかということでした。
寄り添っているだけでも良さそうに思いますし、
肌の温もり、呼吸の息遣いなどの他のところで、
相手を感じることもできるのではないでしょうか。
そうすれば、いくら年齢を重ねたところでも、
あるいは、体調が優れていないような時にでも、
気持ちを行き交わすことができるように思います。
*
また、行為として行い、挿入するにしても、
相手との神経をつなぐようにして、
気持ちを集中させることによって、
肉体的なつながりを越えたところでの、
"つながる感覚"を得ることができるそうです。
日々、現場でも行っているしみけんさんの言うには、
「コンセントをプラグにつなぐ」イメージだそうです。
脳の中の動きも、突き詰めれば電波の信号ですから、
シナプスをつなぐようにするというのは、
体においてもあてはまる考えだなと思います。
*
この<その2>では、かなりいろいろなことを、
あちこちに飛び跳ねながら書き進めているように思うので、
進むために振り返るようにすることもしてみると、
また、発見や気づきがあるように思います。
あるいは、行為としてのセックスを考える時に、
結構スキルやテクニックに傾倒する場合が多いらしいですが、
相手と高まるとか、つながるような場合では、
気持ちの部分も大きいことを感じ取ってもらえたら、
そういうところでも気持ちの良さも味わえる気がします。
そして、恋愛でもそうかもしれませんが、
行為としてのセックスも、あなたと私のもので、
基本的には、個人同士の問題であるとすれば、
もしもお互いの意思が離れて、関係を解消するような時に、
果たして、どういうところが至らなかったみたいな、
フィードバックや反省する機会があるとは限りません。
時々、試験や判定があるようなものではないですから、
よほど自分で気をつけない限りは、わからないことでしょう。
行為としてのセックスもそうで、
これをしたからポイント何点みたいな競技式ではないので、
自分や相手が上手か下手かみたいなことも含め、
全体的な振る舞いの、良いところとそうでないところも、
そう正面を切って伝えることはできないものです。
ましてや、第三者から伝え聞くということもないし、
だからといって誰にでも相談できることができない点で、
恋愛やセックスというのはデリケートになるのかなと、
それでも、誰もが多かれ少なかれ抱え込んでいることで、
そウいう部分では共通しているのかなと思いました。
逆に、あとから答案用紙が返ってくるように、
相手からの手紙が届いたら、目をむいて驚くことでしょう。
*
この<その2>の最後の部分として、
武道的な発想での、もうひとつを取り上げておきますと、
時間や動作の分節を区切るようなことがあって、
時間は過去から現在を経て、未来へと連続するものですが、
それをあえて区切ってみることで、
動きの精度や内容が変わるというのがありました。
何か、運動をする時には、体の各部位を連動させ、
ひとつの動きが、次の動きになっているのですが、
これを「ボールを受け取って投げ返す」とひとつにしては、
どこを良くすれば、もっと速く、遠くへ投げられるのか、
受ける前の位置取り、受け取る構え、受けてからの体のひねり、
そして、投げて返すというように、
そういう検証ができないことに関係しています。
他には、歌を歌う時にもそうらしく、
音楽や歌のメロディーもひとつの大きな時間の流れですが、
それを音符や小節で区切ってみることで、
音程やテンポをどこかのタイミングで修正できるので、
実践的で理に適っている考え方になります。
ここでは、一本の線で考えるのではなく、
ひとつひとつの点の連続で考えているわけですね。
行為としてのセックスにしても、
同じ相手と前回が良かったから今回も良いはずだとか、
逆にそうでなかったとか、つい比較をしてしまうものですが、
一回一回を区切って、次に持ち込まないことが大切だそうです。
そして、これまたしみけんさんのコメントであったのですが、
1日3現場あったとしても、毎回が今日の1回目ととらえ、
それが結果として3回続くというように、
発想を変えることで、乗り切っているそうです。
もちろん、相手と自分の体調、天候、気温や湿度など、
そば打ちの職人が気をつけるようなことでもありますが、
多くの要素を含みながらベストを尽くすわけで、
それでも、これは考え方や気持ちの持ち方によって、
そこに体を連動させて影響を抑えることなので、
まさに"気の持ちよう"は重要だということを示しています。
*
<その3>に続く…。